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1 労災保険が出るから大丈夫?ではありません
会社において、従業員が事故に巻き込まれることがあります。事故の種類として最も多いのは、業務で外出している際の交通事故であろうと思われますが、その他にも工場内の機械で負傷したなどの事故も起こりえます。
また、事務系の業務であっても、例えば職場のポットのお湯をこぼして火傷したというのも労災事故に該当することがあります。
前提として、会社は労働者を安全に働かせる責任を負っています。これは、労働契約の元々の債務ではありません(会社側の債務は、本来賃金を払う義務のみです)。
しかし、安全が確保されていないと、人は労働を提供することができないので、労働契約の付随義務として会社は「安全配慮義務」を負っているとされ、これが確立された判例となっています。
そして、この安全配慮義務を満たさないで、労災事故が起きた場合、会社は労働者に対して損害賠償を行う責任があることになります。
経営者の方の中には、労災保険の支払いがなされれば、それ以上会社側の支払いはないと考えられる方もよく見受けられますが、それは間違いです。
労災保険は、あくまで会社が自らの支払わなければならない従業員への損害賠償債務の一部を国家が運営している保険で支払う制度にすぎません。
したがって、労災保険の支払い額が、会社の支払うべき損害賠償額より少額の場合、会社は労働者から損害賠償請求を受けることになります。
特に、製造業を営んでおられるような会社の場合、工場内での事故は、死亡や四肢に障害が残るケースなど重大な事故もいまだに発生しており、損害賠償額が巨額になることもありえます。
そこで会社の業務に関して起きる事故の事例を分類して、解説いたします。
2 事例ごとのリスクを考えてみましょう
(1)交通事故の事例
世間で最も多く起こる事故は交通事故であり、会社を経営するにあたっても、従業員が移動することは当然にありますので、業務中の交通事故は労働災害の中でも高い割合を占めます。
具体的には、
- 従業員が自転車で営業に出たところ、第三者の自動車に衝突され負傷した事例、
- 同僚の運転する自動車で外出したところ、同僚が信号を見落とし、他の自動車との交通事故に巻き込まれ負傷した
などという事例をよくみかけます。
まず、①の事案ですが、これについて会社に上述の安全配慮義務違反が発生する場面は少ないといえます(会社の自転車の不調などを除く)。営業に出ている従業員が交通事故に遭わないことについて、会社が従業員の安全を守るため、何らかの措置を採ることは難しいからです。
したがって、この場合、従業員は労災保険に基づく給付を受けつつ、他方、加害者である自動車の運転者に対して、損害賠償を求めていくことになります。なお、労災保険の給付と加害者から得る損害賠償は、調整されることがあります。
他方、会社が被害者従業員に対して何らかの賠償を個別にしなければならない可能性は低いとえいます。
次に、②の事例ですが、この場合、会社は加害者側になり、安全配慮義務違反や使用者責任を問われます。というのは運転をしていた被害者の同僚とはとりもなおさず会社の従業員で、会社は運転をしていた従業員の過失(交通事故)により、被害者従業員に傷害を与えたことになるからです。
この場合、労災保険の適用はあるものの、会社としては、交通事故の相手方(多くは相手方の保険会社)、運転していた従業員と連帯して、被害者従業員に賠償を行う必要があります。したがって、会社は負傷した従業員に対して損害賠償を行う必要が出てきます。
ただ、この場合、会社は自社の自動車について、対人無制限の任意保険をかけているなどしていれば、会社の契約した保険会社が被害者従業員への賠償義務を負担してくれますので、会社が実際にキャッシュアウトしなければならない事態にはなりにくいと思われます。
以上のように①②の事案では、会社が被害者従業員に、支払いをしなければならない事態にはなりにくいといえます。これは、自動車に関する任意保険制度の発達が背景にあるともいえるでしょう。
(2)場内事故の事例は問題が大きい
工場内など、職場内で発生した労災事故の場合、会社の認識と実際に齟齬が発生しがちです。
経営者は工場や厨房など職場内で発生した事故について、「事故は当該従業員の不注意であるので、従業員は労災保険から給付を受ければ、それ以上会社は負担する必要がない」と思ってしまいがちです。
しかし、実際には、最も会社に損害賠償の負担がのしかかるのがこの類型です。
工場における機械やフォークリフトの運行に関しては、労働安全衛生規則により詳細な規定、仕様が定められています。例えば、労働安全衛生規則の第101条には「事業者は、機械の原動機、回転軸、歯車、プーリー、ベルト等の労働者に危険を及ぼすおそれのある部分には、覆(おお)い、囲い、スリーブ、踏切橋等を設けなければならない。」と機械への巻き込み事故を防止する措置を会社に求めています。このような規定は業種、作業ごとに定められており、労働安全衛生規則には、約500条にも及ぶ条文で、安全確保を求めています。
これらの規定を全て把握し、規定に適合していることをチェックしきるのは簡単ではありません。
多くの職場では「先輩に教えられたやり方」や「いままでやってきた方法」で作業が行われており、労働安全衛生規則に定められた細かな仕様に違反していることに気づいていません。そしてそのまま労働安全規則に違反した作業をしてしまい、事故につながることがしばしばあります。また、最近は人力をはるかに上回る高性能、高出力の機械を使うため、事故も死亡事故や後遺症の残る事故になりがちです。
このような場合、作業をして災害に遭った従業員の過失もあるのですが、そもそも労働安全衛生規則に定められた安全な環境を整備しなかった法的責任を、会社は問われてしまいます。さらに、労働安全衛生規則は、行政処分、刑事罰を科せるかどうかの公的な基準にすぎず、守るべき最低限の基準といえます。そのため、労働安全衛生規則を遵守していたからといって、会社が必ず民事上の安全配慮義務を果たしているとはなりません。
【労働者に過失があるのではないか】
自らが作業中のいわゆる自損事故というべき事故については、被災労働者にも過失があります。この場合、過失相殺として、会社の負担すべき損害賠償の減額要因にはなるのですが、大幅な減額要因になるかは場合によりけりで、必ずしも大きく減額されるとは限りません。
さらに、会社によっては工場内での事故について、民間の保険に加入していない場合もあるため、会社に予想外の負担が発生することがあります。
また、会社の負担する法的責任は従業員に対する損害賠償責任に留まりません。労働安全衛生法には、違反者に対する刑事罰の規定もあり、(多くは罰金刑ながらも)現場責任者である経営者などに刑事責任が問われる場合もあります。
したがって、工場内の事故が発生した場合、会社としては自社が責任を追及される可能性があると考え、弁護士などと相談の上、慎重に対応をするべきです。
【コラム★機械事故は清掃の時が危ない】
食品加工など現場では、四肢を欠損するような事故が現在も後を絶ちません。もちろん、最近の食品加工機械は労働安全衛生規則に従って、さまざまな安全装置を取り付けたり、設計を改善したりすることで、安全の確保がはかられております。
そのため、通常運転中に機械に巻き込まれるような事故は減少の傾向にあるように思います。他方、今日でも減少しないのは、清掃中、メンテナンス中の事故です。
ミキサーや粉砕を行う機械は、破片などによる目詰まりが一定頻度で発生するため、定期的な清掃が必要となります。清掃にあたっては電源を切ったりして、機械の刃部分が動かないようにしておく必要があるのですが、うっかり電源を切り忘れたり、また、清掃に伴い刃の角度をかえる必要があるため、電源を入れて歯を動かしてしまうことがあります。このようなときに事故が起こりやすいのです。経営者も機械を運転する際に安全面の確保については、機械の使い方を教える際に従業員を指導するのですが、清掃、メンテナンスの際の安全確保については指導を忘れがちです。
また、中小企業にとって、機械の稼働率を容易に下げることはできず、製造とメンテナンスを並行的に行っているような場合、事故が起こりやすくなります。
3 労災隠しは犯罪です
労働災害が発生した場合、会社が絶対に行ってはいけないのが労災隠しです。労災隠しを行った場合、労働安全衛生法100条、同120条5号に違反し、50万円以下の罰金刑が科されます。
労災隠しには大きく二つのパターンがあります。
一つ目は労災事故の発生そのものを隠す場合です。
これは労災事故発生による保険料負担の増加を免れるであったり、公共事業などの元請業者が入札停止等のペナルティーを科されることを避けようとしたりして行われる労災隠しです。
これらの労災隠しは、被害にあった従業員に健康保険を使って治療をさせ、その他労災保険による給付を受けさせないものであるため、従業員にとっても大きな不利益を含んでいます。そのため、従業員の申告により発覚し処分されることの多い事案です。
二つ目は、労災の内容を矮小化するパターンです。
例えば、場内のフォークリフトの事故を、会社駐車場での交通事故であると報告したりするケースです。こちらの類型は、被害にあった従業員は労災の給付を受けられますし、経営者も「誰にも迷惑をかけていない」という気分になってしまいますので、手を染めてしまいやすい類型にあたりますが、労災隠しとされますので、注意が必要です。
これらの労災隠しに対して、厚生労働省は「労災隠しは犯罪です」と銘打って、厳しい姿勢で臨むことを明確にしていますので、罰金刑だからと高をくくらず、しっかり報告をするべきです。このような件で書類送検されてしまうと、「必要な事項を隠匿」したことになり、企業イメージの棄損になります。
労働災害が発生した場合、中小企業経営者としては、上述のように「保険料が上がるのではないか?」「労災にすると書類が大変」などの不安があろうかと思います。しかし、中小企業の労働者数からすれば、実際の保険料の増加額はそこまで極端なものではありません。また、労災の関係書類は、事実を報告すれば足りるのであって、特殊なものではありません。
とすれば、「労災隠しによるペナルティーのリスクを取ってでも労災隠しをする必要はない」と冷静に判断すべきではないでしょうか。